すれっからしDIVA(歌姫) 大友裕子さん
はいっ と。
ひぃぃーーー!?? ガクブル
すれっからしDIVA(歌姫)、大友裕子さんは1978年突如現れて強烈な個性を輝かせ、1982年にわずか4年間をもち突如として消えた。
怨歌なのかフォークなのか‥ニューミュージックなのか‥聴けば一発で強烈に魅入るでしょう。
顔形(かおかたち)や直立微動の歌い方のその風貌、更にその強烈なる声及び歌詞から来る曲の人生観に!
女性が強く々々なってきて、怨歌、恨み節、やさぐれ歌謡などという今は昔のそのジャンル‥。
しかし今聴かば、泣く人等もおりましょう、昭和に置き去ったその置土産を今、心で聴いてみよ!
まずはこの貴重動画から参りましょう。特に2曲目の死顔(しにがお)を!
びびりまっせ!そして強烈な印象が残るだろう!
動画『死顔 他』☟
1979(昭和54)年7月
1曲目 静かにしずかに
2曲目 死顔
すれっからしを!
※自他の安寧の為、ヘッドホンorイヤホンを装着の事!
※そして音量を大に!
kouji1139氏提供
‥い、いかがでしたか? などと陳腐(cheap)な質問を吐く必要も無い。
心が鼓動した一択!
また、これを観てこんなDIVAが今の世にいますか、などと哀しい事を言う必要も無い。本邦は奥行きの深い国であって、日本のどこか、そう日本のどこかには今の世にもいるだろう‥。
そういう逸材がスターダムに上ってこないから、TVや映画等で活躍しない(できない)世だから全国の人々が知れずに、多数の人々はすっかりメディアに白けているという事なのだろう。
(最高の逸材が‥)
(どこかに)いて欲しい‥。
心が動くこういう歌で育っておきながら、壮年以上になった今、幼い日々に受けた感動を今の世に還元、育成、発展をさせられない(?)、壮年以上の育成側の何と無能なことよ。
『ゆとり世代以下』に、おっさん以上のジジババ世代マジ無能と言われる日も間もなくであろう。
それらが1978(昭和53)年の出来事で、翌79年に先程の上記動画のホット・ジャム`79インつま恋に出場したとの事であります。
ですので、デビュー1年未満で若干20歳の時の映像という事になります。
その浅い経歴の状態で、あの歌に入った時の風格はすごいものですね。
中毒性の迫力曲で、自分なんか今も6回連続で視聴してしまいましたよ。
大友裕子さんを検索すると、当時大阪の梅田のレコード屋でレコードを買ったとか、テレビでこの強烈曲を幼い時に観て未だに忘れられないetc..との記事が出てきます為、新生実力派として全国的に有名だったという事です。
さあ、そのシングル曲『ボヘミアン』の発売をもって直後に突然引退をしてしまいます。結婚により引退の寿引退でした。1982年ですので歌手としての活動はわずか約4年の事でした。
しかし強く輝いた4年間だったと思われます。
‥それではこの伝説のDIVAのヒット曲をもう一つ、終りに貼付しまして結びにしたく思います。
それでは。有難う御座居ました。(*'▽')
動画はもう少し下☟
とても直球で何ものかを感ぜさせる名曲です。当時の迫力のスケバン風味の風貌と共に! (曲を聴いて)死んでもいいとは思わないけれど、泣いてもいいよな、と思いました。
有難う伝説のDIVAよ!
動画『傷心』☟
1978年発売 『傷心』
※自他の安寧の為、ヘッドホンorイヤホンを装着の事!
※そして音量を大に!
kankai42977501氏提供
弊所兄弟ブログより リンク
80年代歌姫 中原めいこさん
同じく、弊所FC2方兄弟ブログよりリンク
80年代、ラップといえばRun-D.M.Cだった