重要な感覚の件『 若者に昔を語る時の落とし穴 』その1
多分お初ですC次郎です。
では早速。 おっさんおばちゃんが若者、青少年(9才位~23才位までと仮定)に話をしている時。その時の聞く側の青少年は、一体どゆふうなイメージを抱いとるんでしょうか??
「俺の子供んときはなあ‥この交差点には長崎屋と西友が‥。」40才のおっさんが19才の青少年に昔を語る調で話している、そんな例です。この場合の俺の子供ん時を10才と仮定すれば‥えー、40才−10才=30年前の事、ですね。聴き手の19才君の方は、え?30年前?? おれが生まれる11年も前のハナシか‥、と半分以上も思考が停止中なのかも‥。 そして「おい若者、話きいてんのか‥?」‥と。 ‥むり無いで、おっさん。 自分の感覚を19才時に戻してみんのを忘れてんのちゃう?今年が2017年で2月の生まれとして、現在は40才やな。1997年2月時に廿歳(はたち)に達し、その更に1年前の1996年2月時に19才だったと。はいその感覚ですね。
話し手のおっさんの意識も19才の当時感覚に戻すべきこと。1996年2月時。19才君に合わせて、そっからのスタートだったのだというイメージ。
単純な自分感覚で40才の30年前、今から30年前では無い!違うんですよー!! 正しい感覚は聴き手の19才君の感覚、という事は19才から30年前の話、感覚としてこういう事になるんですよー!! 解りますねっ!?!? 先述の1996(平成8)年2月、そっから30年前という事やからねー。え~、なんぼになる? 1966(昭和41)年2月やねー。え!?‥‥!? 解ります? ‥1977年生の40才のおっちゃんは、話す時に2017年現19才の青少年と同等の感覚におっちゃん自身を換算する必要を考慮するならば、この時の自分は大体1966年の話をしとる事と同様になるんですよー!?という事を!
分かります? 昭和41年っていうとビートルズが来て、タートル・ルック(とっくり)とミニスカート(ツィギー)が流行って、モッズルックで新三種の神器(カラーTV、カー〈車〉、クーラー)。歌はグループサウンズ(GS)ブームで美空ひばりに青江三奈、布施明に美川憲一、沢たまきとかになると思うけれども。あと巨人大鵬卵焼きで長嶋さんも現役バリバリですよ! 40才君、これはちんぷんかんぷんやろ?? 40才君が平成8年の19才の時に、この様に30年前の話をされたとしたならば、そうなるやろ? 炭鉱もあったし、国鉄のストライキとか、地方では石炭で機関車が走っていたし、大都市東京大阪名古屋は、現役で街路を市電が走っていたんですよ? おっさんいつの話してんだよ、と思うやんね‥。わかるよね? 解らんかな?? 思考停止し始めてますか??
ね。2017年から30年前は1987(昭和62)年。40才のおっさんにとっては多分児童期で、遠い懐かしい思い出な事だろう。当時の経験は現在と繋(つな)がっている、でも今の青少年には経験が無い。生まれていないから当然で、よっぽどその時代に興味が有れば詳しいだろうけど‥。 で、おっさんは言うだろうか‥。「今と変わらず当時も豊かだったし、インターネットとか携帯スマホは無かったけど、そんなに今と変わらんよ。 30年前も今も正直あんまり変わらんよ!」⇦ココの時代感覚が、全く異なっているのであります!
1987年の2月くらいだと➡地上げ屋が全盛、のバブル前夜の時代。ワンレン、ハイレグ水着、ディスコ。不良文化は末期で変形学生服、脱色リーゼントにポマード、シンナー吸引、スケバン刑事、ビーバップ、ヤングオート他。デジカメなど無く、使い捨てが流行っていてカメラも写ルンですが流行り出した。ペットボトルなど無く、350mℓびんだった。ジュースといえば僻地以外は100円玉1枚、250mℓスチール缶も多く、今のステイオンタブは極々少数だった。プルタブ(缶のふた)と吸殻は道端のそこらじゅうに落ちていた。そして、ギリギリJRへ移行の直前で日本国有鉄道だった。鉄道連絡船の青函連絡船と宇高連絡船もまだあった。新幹線は0系、200系、100系車両で、路線は東北新幹線、上越新幹線、東海道・山陽新幹線しかなかった。民間航空は、東亜国内航空があった。
巨人と日本ハムの本拠地は後楽園球場で、東京ドームは建設中。阪急ブレーブス、南海ホークスはまだ身売り前年で存在、横浜大洋ホエールズも健在。電電公社はNTTになっていたが、ショルダーホンや自動車電話が高価だが存在し、テレホンカードは庶民にかなり普及していた。ファッションは裾がタイトな80年代調で、今とはだいぶ違っていた。ノートパソコンは発明されてはいたがしかし市場にはまだ無かった。パソコン通信があったが、世界と繋がったインターネットはまだ無かった。PCゲーム市場に勢いがあって、ゲーム機はMSX、MSX2とファミコンとセガマークⅢの時代だった。各大都市には大小の電気街があった。大スターの石原裕次郎や美空ひばりが、存命だった!そして‥、年号は昭和、当然ながら昭和天皇が御在位でありました。
日本株式会社の⇧この時代と今は全然違う、と青少年は感じている。‥その時代の経験の無い若者からしたら、当然の感覚であります! たかが30年、といえども、実際には雰囲気はかなり違うのだ。この感覚に、大きなズレがあります!! 自分たちも含めてこの経験と慣れの時代感覚のズレを、前述のように修正する必要を意識して話しているか、否余り気にしていないかが相互理解の分かれ目の大事な一部分であると思っています。以上C次郎の、重要な感覚の件『若者に昔を語る時の落とし穴』その1でした。 Σ(゚Д゚)
続