伝説の沢村栄治の生誕100年と伊勢
WBCの対アメリカ戦の惜敗は残念‥。さて、アメリカとの長い野球つながりで遥かに遡ると昭和九(1934)年、静岡は草薙球場での伝説の快投、故・沢村栄治氏の事が頭に浮かんで来ます。
今年は故・沢村栄治生誕100年、というメモリアル年で、生地の三重県伊勢市ではその記念の催しが幾つかあるようです。地元の三重テレビや伊勢市役所HP、あと名古屋界隈では以前よりイベントの宣伝をしていたようですよ。
伊勢市での沢村栄治生誕百年記念の催しは、パネル展示が主のようです。あとは元(?)関西芸人の山田雅人氏の語りの世界など、があるらしいよーと名古屋のお友達から聞きました。
で、それらの催しはサブで、伊勢でのメインイベントは、やっぱりオープン戦。3月22日(一昨日です)に伊勢のメイン球場倉田山球場で、巨人と日本ハムのオープン戦が行われました。
巨人側は沢村氏の永久欠番14番のユニホームを、全員が着用して臨みましたが 1対2 の接戦で敗れ、英雄の故郷での催しに花を添える事は適わず‥。
ただ、巨人や日本ハムの有名選手が伊勢入りし、市民や小中学生と交流を持ったようでして、野球人気の促進と生誕100年事業は成功のようでした。
ところで、沢村栄治氏は甘味、甘い物がとにかく大好きだったそうです。
そして‥、何とこのオープン戦には沢村栄治氏の一人娘、酒井美緒さん(72)が遠路はるばる愛媛県八幡浜市から、そして徴兵され大陸出征時の同年兵として中西時次郎氏(100)が伊勢の隣の鳥羽市から参加されまして、お二人、ご対面された模様ですね!!
中西氏は何と100歳!! 奥様はかなり以前に他界されたようで、鳥羽の沖合の坂手島に何と一人暮しをされているそうです!! しかしお元気ですごいです!!
中西時次郎氏と沢村栄治氏とは、津市の久居にありました陸軍歩兵第33連隊の同年兵で、日中戦争(支那事変)出征時に大陸への輸送船途上の、将校当番勤務で接点があったとの事です。
さて。沢村栄治氏は昭和19年秋以降のフィリピン・レイテ島の防衛戦に参加する為、門司港から輸送船で出港し洋上で米潜水艦の雷撃により撃沈され、そうして27歳で洋上で戦死。
その場所は、今まで台湾沖で戦死と記憶していたのですが、ウィキペディアだと屋久島沖になってますね ??
細かいようですが屋久島とは、ざっくり鹿児島沖な訳で台湾沖とは位置が結構違いますね。輸送船沈没での洋上の戦死は、海没で遺骨も無いのが普通ですから、戦死位置までもが不正確だとちょっとやり切れませんね。。。
どっちなんでしょうか。。。
その時。娘の酒井美緒さんは、0歳5ヵ月だったそうですから、中西氏とのお話はかなり貴重な機会なのですよね?? 太平洋戦争中の最晩年の時の接点では無いとしても。。。
いま、春が始まり気候が和らいできました。どうぞお二人ともお元気で!