東日本大震災を思い出して。恐らくいつまでも「被災地」と言われます。
2017年3月。またこうして東日本大震災を振り返れる時期に到っている処です。6年前当時の現地の激甚極限状況の悲哀をいま振り返り、改めまして深く哀悼の意を表します。
-あの時- われわれは只々神妙にそれ等を落涙しながら見守る他無く、その後に国難への一心協力を心に誓う我が国民感情は、独特なものでありました。また、全世界の耳目を一身に集めてその温かき衷情を日本が多数受けた事は、あと5年10年は感謝せねばならない事だと感じたものです。
がんばろう日本とPRAY FOR JAPANは今大震災当初から使用しており、『支え、支えられ』という非常時の正解を示す象徴的重要ワードとして、当分は毎年この時期に思い出すようにした方がいいと感じます。
テレビでこの時期に、かさ上げ造成中の更地の被災地を見れば、復興途上である訳ですが(更地は)つらく悲しく見えます。かつて神戸では、震災から6年後というと表向き見た目にはおおむねきれいに建物が建ち大都市神戸の底力を感じたものです(当然住民に陰はあり、灰燼に帰した一部下町の深刻ダメージの地区や、空き地となって雑草が伸びブルーシートが掛けられた敷地もちらほらとありましたが‥)。
一方こちら(三陸・福島他)ではこれから海手の更地は水産工場等に山手側は宅地等々にして、と後何年も掛かると思えます為「被災地」や「大変でしたね」、「お気の毒でした」「お察しします」、「応援支援します」等々、一見して復興した!と見える迄、今後もずっと言われる事でしょう。
国難(非常時)への一心協力を心に誓う我が国民感情は、良心に基づく伝統の壮大なおせっかいであるので、被災地の現状から残念ながらこの伝統的な衷情を止めさせる事はあと何年も無理かと存じます‥。
ですから、どうぞ(思いっ切り建前で)有難う有難う、と言っておいて下さい。建前を出して本音は‥、どうにか抑えて下さい。それで我々に染みついた伝統の、良心に基づくおせっかいは深く満足するのですから。
去年の熊本のように被災地ともなれば、同じように当然全国からこの念が贈られます。‥こんな圧倒的な破壊なのです、後何年も日本人の心を捉えて止まぬ‥ですね。